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就職したら隠者になりたい
2007 / 02 / 05 ( Mon )

話は飛躍する


人は愛情を何かに抱く
それは
家族→恋人→家族
友人→村町→国  拡大、飛躍する

それは自分という『自我』・『アイデンティティ』の依拠する対象
にもなり
その「自分」という「精神」の維持への切望の表れであるかもしれない

それはまた自分に食物を食わし寝床を与えてくれる『生命維持』のために依拠する対象であり
その「自分」という「生命」の維持・保管への切望の表れであるかもしれない



愛情を抱くゆえに
その愛情を抱く対象との触れ合いがなくなること=消失
を恐れ、維持を切望する


それゆえに対象が他によって消失の危機に晒されることを恐れ
その「他」を排除しようとする

消失への恐れは独占への望みに変わる



人は必ず維持を続けていくうえで拡大に手をつける

拡大は対象の拡大であり
いわば欲求範囲の拡大である

その拡大の発端は
対象を知とする好奇心であるかもしれないし
愛情対象の維持が困難な状況に追いやられたためかもしれない

しかし
それは「他」にとっての主観的には
自分達の愛情対象の維持の危機である

愛情が憎悪をよぶ




なぜなら


理論では人は動いていない


もちろん人を動かすには正当性が必要
自分の行い=自分の欲求実現のための行い
を押し付け、公的に堂々とソレを実行しようとする

感情論・人徳の理論は
公的には
自己中心的・主観的とみなされるからである

しかし

人は理論では動いていない
例えどんな公的行動にしても
そのおくには必ず自分の感情がある


その結果は合い入れないことが
当然起こり
感情論・人徳の理論に依拠し理論で負けたものは
眺めることしかできない



人が人であること
感情を持ち
自我を立て
理論を掲げるとき

それは合い入れない矛盾が生え始める と思う








それゆえに戦争はなくならない  と思う。







自分の行いの正当性
それより奥にある気持ち
さらに奥にある欲求の根源を突き止めること

やられてはじめてわかる相手の気持ち




人をそれは学習と呼ぶのか。







決断のときは近い。
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04:25:03 | おはなし | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
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