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02:38:15 | | page top↑
錯乱midnight
2007 / 02 / 11 ( Sun )


そうだ、

人間はケーススタディによってしか

学ぶことができないのだ。


理想の像は錬成過程の構築図が整っていないと

見事に偶像化する。

だからまた同じことを繰り返す。


逃げているだけ それとも 

色んな筋道は立てられるだろうしどうともでも解釈できるだろう

自らの中であらゆる理論のベクトルの矛先が向かってくる。
耐え難い苦痛。

ケッキョクココロデスカ?   あいまい過ぎだ




ここで話はtripする。

理屈っぽいのと理論的なのは

どちらも筋が通っていることなのだが

決定的な違いは第三者がみて筋が通っていること

であって主観的に筋が通っていることは単に理屈っぽいだけということらしい。






ここで話は帰還する。

先生の比較研究という手法が

人間の智の限界性を踏まえたうえでの真理の探究の姿勢である

ような気がして

改めて感服した。

俺は

今したいことともうしたくなくなったことと今葛藤してるもの

の中で見事に迷子になったらしい。

ちなみにYの世代とすぷりんぐまうんてんの問題はここでは眼中にない。


テーマ自体により悩んでいるのか。
Yのと、やりたくなくなったものは。
そしてその研究方法に人間の探求の限界性を謙虚にうけた先生をみた。
それがなぜか己の履歴と重なる。
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05:21:14 | おはなし | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
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