手が届きそうになって、すり抜ける。いつもそうだよね。
あるある。
どのプレイリストもしっくりこないような一日のはじまり。あるいはおわり。
あるある。
受け皿が足りない情景。
何を置いてもこれこそはと思っている自己証明のもの。
性格なり、物質なり、言葉なり、習慣に係る一切のもの
それらから離れた自分というところから、以前の自分をみてみると、
手放さず抱えていることに一切の疑いの念ももたかなかったものたちが、実は
大したことはなかったように感じることが出来る。
それは成長?あるいは変化?いやいやww日常
意図してもできないこと。不意に済んだこと。そういうこと。
どうにかしてその足場をかえ、あるいは引き返してという作業を繰り返すこと、それが、
変化という成長というものかもしれないけれども。
無理なら何か別の力を借りるといいとも思う。
アルコールや女というものが手っ取り早いとも聞きました。
ただそれらをして至る境地において、当時足場にしていた重要なものたちは、
大概引き替えせないほどめちゃくちゃに粉砕していることが多いのだけれども。
何もせず迎えた朝。帰りの自己満足。帰宅後の焦燥感。そんな数年前。
「定式化しない。きちんといわないからこそ の関係」
そう思って自分だけで自己満足しているのではないかと何度も思ったんだけども
帰り際にいつも、相手もそうだろうと、中身のない電話がくるたびにそうだろうと
思った。
距離感で遊ぶような感覚に酔っているだけなんでしょう。そうでしょう。私は変わらず夜光虫。
信じるということは、ただ、いたずらに眼をつぶることではないと思う。
私はさ、
いつも現実を最初にみるような男になりたいよ。
あらあら。
そういう夏のはじめとその中頃。
なすべきことは、いつも直感している。
PR