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01:17:03 | | page top↑
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2007 / 10 / 13 ( Sat )

コロンブスの始祖:
逃がしてはならん、逃げないでくれ。
そのなんたるかの虚ろが脳裏に映る後
それらの翼を捥ぎ
それらの膝を折り
「名」という鎖で縛り付けて
定め着かせねばならぬ。

二度と思考の土地を離れぬように、
用心して想像に焼き付けねばならぬ。


隅にいる哲学者のような人:
存在は実にして形を成し、
名は固有の着色を与えん。


憂う人、もしくは詩人:
しかし
その行為そのものにより
見向きもされず意味知らぬ後の子らにまで
使いふるされ、まるで赤子が連呼する
新出の語のようにないがしろにされ、風化する。


予見者:
見つめねばならぬ
己の眼で見つめねばならぬ


憂う人、もしくは詩人:
その眼がないとも知らぬ盲人が
そこらこちらには、ほとんどで、
誠の尺もつ“冒険者”はとんと珍しく
雑踏と雑草に埋もれてしまうのが
人の世、世俗というものでしょう。




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01:50:21 | 第0楽章 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
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2007 / 10 / 07 ( Sun )

戯れの王子:
あぁ、きっと。実は、全ての種は一つ一つの人と主体なのだ。
だから私の抱く妄想も、想像も、いずれもきっと現実味のないものだったのだ。


脚本家、舞台袖より


脚本家:
私は世界を紡ぎとぎ、すべてはそのとおり振舞うが、
あるとき、いいや、最初から。
ある一つの疑いが私の脳裏から離れないのだ。
この世界を見ている観客とその袖にいる裏方とそれらを紡ぐ私さえ
実はこの世の踊り駒ではないのか。
望遠鏡のみせる世界の中に決して背後は在りえない。
しかしどうだろうか
私のこの紡ぐ世界それらすべてさえ
実は大きな力の謀ではないのだろうか。
西をいく物の怪と法師にあるように。猿は仏の手から抜け出られないのではないか。


小賢しい人(客席から):
それは概念の桁の違いというものだ。
もしそれが事実だとしたら
その中のものはその状態自体に気づくけることはないだろう。


うつむく詩人:
私を照らさないでくれ。私をこの堅いイスに縛らないでくれ
家畜のように他の大多数と並べないでくれ
私の言葉を理解しないでくれ
私は自由の象徴 私は愚か 私は綿毛のように世俗とは異質の大きな流れに流されて往き、いつの間にか朽ちて果てたい。

情熱家;
アナタは社会への責任と自我の確立をなしていないのではないか。
それは大きな怠慢ではないのか。それは現代の埃と変わらないのではないか。皆が責任をもって明るい未来を


不機嫌な鐘つき係が鐘をならす
皆いっせいに口をつむぐ
情熱家だけがぶつぶつまだ口を動かしている


不機嫌な鐘つき係:
老いも若きも君子も女子も
大河のような一幕を、どうか儚き一瞬を
汝の旅路と心得て
ご覧いただきくださいな
どうか油断をせぬように





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