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遠浅
2007 / 12 / 03 ( Mon ) 先週の始まりには2日間で27時間眠り 今日なんか三時間くらいしか起きてはいなかった。 独り暮らし でもないのに自腹で買ったリンスや家具、その他消耗品は ことごとく 「キレ」始め、 ついにはキジョウの電球さえ 尽きて それに触ったら火傷した。 普段から熱湯になれている手がヤケ焦げた。 飼い犬に噛まれた飼い主は衝撃だろうが 飼われているほうからしたら 自然な 流れだったのかもしれないとも思う。 過去の自分もそうだし 本当に 哀れで無粋で救い難いのはこの飼い主のような心持の人間だ。 世の中には“回遊魚”というような人種もいて 常に何かを追いかけていないと不安で不安で死んでしまう。 止まっていられない。 それがいいとか悪いとか 浅いとか深いとか一元的な表現には眼もくれず 最近ではもはや 嫌悪や自責 感動や興味すら抱くことなく眠ってやりすごすことになっている これが空(くう)というものか。 この状態は 不安や欺瞞でもなく 開き直りでもないといえる。 当然、快活でもないし 鬱などという「娯楽」でもない。 「±0」の状態というのが 搾り出せる中での一番適した表現だ。 ± ←この記号はそそるものがある 頻出単語が嫌いで 「じゃあ何がすきなの」と問われたから 「午後」と答えた。 いつも送り主は一方的なもので ばつが悪いが 快感がある。 会話が続かないから 窓も扉も無くしたら外に出られなくなった。 笑えない。 苦痛な湿気も日差しも 少しはなければ生きられないことが 痛みの経験をしないと実感できないのは現代社会の弊害だ。 最近よくラベリングされるワードがあるが納得はしない。 周りからの見られ方と周りへの魅せ方が もはや自動で再現される私のこの状態が来る所以は 思考が今まで 「南海のようだったから」とだけ 掛けておきたい。 澄んでいるわけでも温かいわけでもないのだ 単に遠浅なのだ。 雑念の天国だがそこに大きな主はいない。 これは皮肉。 とりあえずこれらの原因である過去を 「大したことはない」と 嫌悪でも謙遜でもなく“評価”をしておく。 ところで この評価という言葉が嫌いだ。 これは刃先が鋭利すぎる。聴くだけで気持ちが揺れる。 恐怖する。この言葉が両手に持たされている支配的印象のせいだ しかし うまくこれが手元に流れ着いたときにはこれほど心強いものはない そう。 ものごとと人間 知れば知るほど 寡黙になる。 それは最も目指していた姿なのだが 人当たりという項で変換をすると また評価は変わってしまうのが 切ないですね。 机上で気丈にヤケになる。 明日はユニクロにいこうと思います。 PR |
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