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錬成物
2007 / 01 / 24 ( Wed )
思考は河のように、または河、海、雲、雨、雫の一環した循環

そのもののように、流れをとめてはならない。


風呂は思考の泉である

そして哲学を気取り、自分と対話の場である

その場の存在に体力の残存という条件に制約を受けるものの

その流れは止めない 自分の名前を風呂場の鏡に向かって呼んでみよう

避けていた己自身と否応なく向き合わねばならない

節目の年を越えた私はそれと向き合わねばならないと思い立った

己に呼びかけ

何故鬱々とするか 己は何を避けているのか

何と向き合わねばならないのか

自己分析という慣習化したコトバが気に食わないゆえ

私はその行為を自己解体と呼ぶ

それも思いつきだ



私はしばらく長い間 二つ名

それと同等の新しい名前を模索する想像をする癖と呼ぶべき

戯れを行なってきた その行為は中二病と呼ばれるものかもしれないが

おそらく自己アイデンティティ確立の過程のナニカに違いないと考えている

おそらく妥当であろう

アニメ マンガ 小説? IMAGE 寓話 会話 講義 もしくは授業

そんなものの日本語もしくはその他言語から得 独特のラベル化した

IMAGEそのものから様々な想像をし、思考し 自己満足する

その過程の一過程であろう

私はその終わらない過程に終止符 もしくは休符をつけるのが

己の名前を己自身に呼びつけることかもしれないとこれを打ちながらなんとなく思った




おそらく というか確信的に

この世と呼ばれる理解と認知の限度内における万事万物の中で

同種のもの 己自身は 塵芥 羽虫毛虫の類と隔てないところに

位置づけられるものであろうから それゆえにラベリング

または己の名以外のラベル もしくは呼称を設けるのはその行為自体が

まぁその行為を知るものは誰一人いないであるが その行為自体が愚行であり

理解と認知の限度外にあるものからしたら 滑稽であり そのことに気づかない己が

まさに愚の骨頂なのではないかという気になる

それはおそらく自己思考内のキレる自分が指摘し警告しているだけに

すぎないと己でもわかっているのだが それはそれで気づく己に自己満足し

己の名を再三呼び続け この節目を越えた己に

今までの自分の誰よりも己らしい自分になっていかねばらないと思う



風呂は思考の場であり 哲学の泉であると思う

私は風呂を出る

肉体的においてはいないが

その湿度と温度差における体への刺激は危険なものであると肉体が警告していると感覚する

それはまさに夢 戯言の世界から

一気に現実に戻る 戻される瞬間のようなものに似ていると感じる

風呂場でみていた空想 もしくは妄想は

一気に覚め 風呂場の鏡に見出した自己は

脱衣所の曇った鏡では見出すことはできず

おそらく不快感と失望感 もしくは不安に包まれるだけだ

だがそこで立ち尽くすのみでは 

裸体 醜態を無防備にさらし 風邪を引くだけである

それゆえ己が見えなくなっても 

今やるべきことを 見出し つまりはタオルで濡れたからだを拭くこと

それをし次の行動に移す準備をせねばならない

そしてそうしている間に この間は我慢が必要だが

そうしている間に 鏡は冷め 曇りを晴らし 己自身を再び見出すことができる

だろう そう感じた

そして鏡をみることをここ十数年間恐れてきた自分は

幽霊が映るから

じゃなくて

己を見ることを避けてきた

のかもしれないと

ふと思った

おそらくそれはないだろうが

否定できない思考物である。





可愛がってくれた先輩

自信

行く路

見せる必要のない決意







舌はいつも子供のような純粋の状態で

思考は単純化を捨て現実を目指す複雑な状態で。




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