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だるい
2009 / 09 / 22 ( Tue ) 思考に記憶と記録が追いつかない。 まさに風呂の中での思考はシナプスの反応より早く まさに神経の電気信号の速度そのもの だった感さえある。 太宰 は もし文明開化しないもとの日本にいたら自殺しなかったのか と知識がないまま 妄想した。 西欧的といえる合理的過程は、演繹的で それまでの大和の信仰頼みの感覚にいたことを恐怖さえおぼえさせるほど 納得させられる成果をあげた。 しかし、それは完結しない真実に近しい何かを錯覚したものへは この万事が カタルにすらむなしくなるほどの 虚無感で自らを満たすことを知覚させる 気がする。 ただどちらがなんとかとか、そういうことをいいたいのではなくて それでは在る意味西欧的なんとかにやられているわけで かといって、考えをやめるというわけでもなく、 色んなルールと距離とスタンダード渦巻く複数の共同体 の中で椅子とりゲームと終わらない駒のとりあいをする。 そこに答えがあると思うのは違う。 本質的意味を備えているものはほんとうにわずか。 でもそれを為すにはあまりにも、雑音が大きすぎるし でしゃばりが多い。 それに驕りでも自己満足でも、形式的なものでもない 本質的意味を成す瞬間って言うのは実はあじけないものだ。 だから我々は仮のものを立てる。 なぜ、神が生まれ 神に近しい存在がいつの時代も必要なのか そして 言い換えればそれは、タグであり 言葉でもあり、我々の日常に存在する。 ありもしないを概念化するのだ。 それは生贄なのか、代償なのか、適する表現が見当たらない 私たちはそれを伝えるのでなく なんでだろうね とそばにいるのが本来の目指すべき適切な形かもしれない。 PR |
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