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solitary saturday
2009 / 05 / 09 ( Sat ) 真理的な話
心の求めるところ 選択や決断において。 胎を締め上げるような帯を常に巻くような 選択が大体の場合、腑に落ちる。私の場合。 美しいこと それが前提条件な気が。それと 積極性を伴う快活さと受容性 求めるものに ふい とされると すぐその反動で、「別の」にいき、散財しようとする。 悪い癖。 あと審美眼はやっかい 容姿も性質も。 あと基本 出鼻後手を打ちにいくようなスタイルがあだに。 |
休暇の終わり
2009 / 05 / 06 ( Wed ) 明日も めげずに頑張ります! |
半月の妊娠
2009 / 05 / 02 ( Sat ) 伏線は勘違いwww
しかし その事実は問題ではなくなった。 とうとういい感じ。 奇跡の瞬間 神秘の横顔 純粋性の極みに 逆巻きの虹を見る。 とにかく近づくと言うことは 粗なり 棘なり、というもの(身勝手な言い方だが何にせよ)が見えるよう になり それは 一方的な妄想を粉砕することであり 同時に痛みに近い衝撃を伴う行為に紛いないということだ。 改めて文に起こしてみれば当たり前のことだな。 経験上、互いに好意が成立すれば 関係は成立しうるはずだ。難関であることに違いないが。 B型…ww 傾斜が険しいから嫌になる 面倒になる …? わたしついに冷めた・・・? いや 気持ちが序列的に先であるべきだろう …?つまり? そもそもどちらも議論が成立しない。筋が通らない。 それらは ラベリング的にあたかも その理論が 存在するかのように 名詞化的な形態化をされただけであって そんな形而上的発想それ自体が愚考に思えてくる。 言い訳に思えてくる。そういうものではないだろう 全ては観念の方法次第であり 流動的で自然的なはずなのだ。 なぜならそれら万事が事象でなく 思考と言う行為によって生かされ 始めて起こる動的な存在だからだ。 これら全て 審美眼、洞察眼、思考力故の難航 憤怒と高慢故の難航 それらもラベリング的言い訳か。 自分の性質を思い知る。 この枠、そして孤独の中の・・・を超えて知る 桃源的な自己。らしい。 いずれにしろ最期のシーンはとても画になる 二人だったに違いない。すべての意味でおごりなく。 思考が溢れ出て流れ出でるので 別れた日のカナディアンクラブで酔わせてとめた。 捨てた女に興味はないというのが今日出た最悪の独り言だ。 狼狽した。 |
あえなく 金曜日
2009 / 05 / 01 ( Fri ) 上がりては下がり 下がりては上る 先生 私は、ウェルテルの日記から 現在の自分の“情動”というものを理解し 慰み もしくは 見取り やわらげてくれるものを見出そうと求め 狼狽しきった状態で それをまた手にしました。 朝から読む其れは非情に私の気持ちを 重くし 改めてみるそれは 私の所有という外し難く それでいて実に人間らしい欲求と 理性の間に歪む自己をありありと映し出したのでした。 そんなことをしていると 人類史上最大のドッキリではないのか とか 相手は実はうんぬんかんぬんとか いるんだ いるんだろうとか 根拠となすには情報も不足で、 それでいて「いつもよりは」と理性を煽るもう一人がいるもので あがりさがりしているのです。 この状態が続くとさすがにまいってしまいそうなのです。 先生 これは 人類にかけた罠なのでしょうか それともそもそもの業なのでしょうか 単なる 考え違い でしょうか。 |
煩悩の夜鳴き
2009 / 04 / 29 ( Wed ) 熱い風呂に入ったら賢者モードになった。 そうか。 その狭い範疇で捉えようとしていたのは私だけかもしれない。 それを超えればこそ 叡智者になれるのかもしれない 要点は ・自由 ・純心 それに対して許される ・執着なき精神 これは尊師的性質が必要になる。 だが新しい己の可能性 そこにたまらなくうずいている自分がいる。 純度の高いものを前にして私の邪心は薄れるよう |