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02:08:56 | | page top↑
とある斜陽
2009 / 06 / 21 ( Sun )
私が“固体”として求めるものは

一過性の“流体”を帯びるものばかり

「我々」はその一瞬(通電や発光もしくは着火)を永遠とせんがために

躍起になるのだ。

・・・(中略)それ故、行為という流動的な“動作”のみが

我々を我々足らしめるのだ。


感覚の流れを理解し(時間に沿った)、最適な杭の配置を。




ここだけの話

私は随分昔から真理を探している。大真面目だ。

それは何か。

一人の人間のひとつの人生の解法

不変的原理の発掘

世界の体系と人間と言う枠組みからの脱却とその視点

冗談や宗教?のようにみられかねないが

誤解を恐れずに書く。

変わらない何か もしくは

あらゆる局面を網羅できる解法を探している。

日常的におこる 点と点の連結

その式の嘶き


それを言いようによっては哲学という人もいる

尊師早川はのたもうた。

「皆さん一人ひとりの中に哲学者がいるのです。

それは誰にも侵すことができず奪われることのない唯一の存在です」

そう思う。

ただ哲学という言葉を用いると幾らか具合が悪い。

ソクラテスだのアリストテレスだのといったそういう類ではないからだ

学問の中でも美術や哲学 音楽 そして文学というもの

それは過去を学ぶことではなく 過去の人の作品に触れること

取り込むことでオリジナル何かを新たに産むことではないのだろうか

新しいというところに限界性を感じるのであればこう言い換えよう

自分にとっての自分の自己の投影が一番最適に投影された表現を

生成すること。美術や音楽 文学などといった芸術の生みの苦しみに

近い何か それを個人の人生という器で行うのが哲学なのではないかと

難しい 論理学やら、なんやら解らんが。・・・以下略
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