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08:43:49 | | page top↑
盆栽とカオス
2010 / 03 / 19 ( Fri )


盆栽をやってから

そこらへんの苔の美しさや、他人の家の松やその他の家の樹木の立派さに

気づくことが多い。

新たな視座で 知り 得るという体験は、いつまでもその新鮮味を落とすことがない。




美や何かに反応する反応というのは

何かの規則性に対する反応だと思う。

文字であれ、音であれ、画であろうとも。

それが視覚的なものであれ聴覚的なものであれ、嗅覚その他であろうとも。

ただ、そういうと混沌としたものは

美ではないのかという考えがやってくるわけなんだけど

俯瞰できる視野のあるものにとっては、

カオスさえも

規則性に則った様態をなしているとみえているのではないか。と思うのです。






なくなったものに価値をみるのは思い込み

いとおしく思うのも思い込み

希少性の原理の為せる業。
 

思い込みを取り払ったら内面化に支配されない自分がいるはず。


 

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18:40:38 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
凡人
2010 / 02 / 06 ( Sat )



我々は信仰なしには生きられないのではないか。


包括的な表現に行き着くあたり

無知に退行しているような気がしてならないが

最近は、そういうことが多い。

少し前までは、決め台詞が如く即結論だせたことや

当たり前だと結論付けていたことに

疑問をもつようになって答えが出せなくなっている。

それは

単に長期休暇に入ったとか、自ら追い込みをかけているから

かもしれない。


いかに勢いだけで、数多の台詞を吐いてきたかということが

思い知らされる。


そう。


まさに新世代の子供の病理をそっくりそのまま

受けているのは自分自身なのだ。


情報技術の進歩による距離と時間のボーダーレス化、

それによる仮想空間の拡大と内面化の増長

アニメや漫画などの表現との接触機会の増加による非現実感の助長、

ネットの普及による匿名的連帯感の創世

競争の必要性の減少、

それにより閉じた個人が「近代」という進化という信仰を拒絶しても

生存していけるようになった。

それは個人の役割の創造がされなくなるということ

社会化以上に内面化が拡大するということ

内面的時間のほうが体感している時間が長いので、触れる現実とのギャップ

それによるストレスは当然多くなる。

それを補うがごとく、ネットに接続して匿名性のある空間で

仮想的な自己を増産することになる。

実際は罠だらけだ。


価値が相対化した現代で

もはや何がだめで何がいいかわからない。

根本的な理由を探すのはいまだに中二病だからか?

確かに。誰に期待しているというのだ。


自らの弱さが助長されるのはまた悪い周期に入ったせいだ。


解法はそう。

内面化の阻止だ。



ヴァーチャルチルドレン 

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01:37:25 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
日常には雑念因子が多すぎる
2010 / 01 / 28 ( Thu )


芸術性とは

情動に働きかける営力である。



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10:06:03 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
資本主義の対岸
2009 / 12 / 13 ( Sun )

結局

「もっともっと」と求めてよいものなんて

自分への厳しさくらいしか世の中には落ちてない。

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02:04:12 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
記載的事項
2009 / 11 / 12 ( Thu )


方向性をもった主張には立ち位置の明確化が必要だ。

それが視座というものだ。

そこを掘り出さないから地に足がつかない言い合いになる。

何せ、物事は二極でぶつかり合うほど単純ではないし、

複合的で重層的かつ、時空的なのだから。

「やぁやぁ我こそは」

そういった鎌倉武士の戦い方を倣えばいい。




***


風刺とはなんと、高貴な戯れか。

当て馬的なフェイクに強い主張を持たせ

その強烈さと力の強さが比例して、その主たる論調を虚仮下ろす。

知恵のないもの、疑えないもの

つまり知性の乏しいもの、子供や大人でもそういう部類の人間は

かっとなるか、よくわからずに見過ごすだけ、

なんという選民的文化か。




***

形作られるとき、同時にそれは可能性を喪失する。


***

包括的に言えば

私は

人間を動かす力について考えてている。

民族、思想、そういう移ろいやすいものを横断的に支配した

法則をみつけること。

それが心理学であり、そこの論拠を求めるために

神経学と認知学を知り、

その事例である宗教学や洗脳やプロパガンダを歴史からみる。


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01:55:07 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
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