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21:08:56 | | page top↑
悟りの状態
2009 / 11 / 02 ( Mon )

煩悩を排した状態

無の状態

その一瞬における本分に徹する真面目な状態

一般的に言えば雑念を排した集中した状態
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00:15:09 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
2009 / 10 / 30 ( Fri )

煩悩とは何かを理解

煩悩を追い出そうとすること、その方法としての禅

しかし現実は悟りの段階に至ったとして、その状態では上手くはいかない。

方便が必要。

明頭打

そこから本来の自己に戻る。その繰り返し

そこでどちらかが「全」だという勘違いをしないこと。

方便として現実に生きている中生じる不和

揺らぎ

それを楽しむのが風流

そもそも本来の自己とは流れているものであり

固定的に存在などしない。全の中の一であるから。その自覚。

本来の自己とは煩悩を追い出した状態から新たに見出すもの

=悟りの状態

その実践は「生活と仕事へ真面目(煩悩の入り込む隙のない)になること」

禅は万能の法則でなく、

【人間としての自己をコントロールする業/方法】であり

これは是か非かという議論に使えるようなものとは異なる。

相反するものどちらも包括的肯定しえるような考え方だからだ。

それは矛盾でなく、方便と本分の使い分けであり、合理的ともいえる。


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19:23:21 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
到達の一部
2009 / 10 / 28 ( Wed )

我 真とするもの 真に非ずや

我 真とせぬもの 真にならずや

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22:56:59 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
走る秋
2009 / 10 / 07 ( Wed )

愚かさの反証明は、

愚かさを自明することでしかできない。


そう思えてならない。

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01:45:20 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
だれもいない
2009 / 09 / 27 ( Sun )

馬鹿とも愚民ともいうのもその話者の品をあからさまに

さげるように思えるので新しい自身だけの隠語をつかおうと思う。





自分の思考でどうすべきか示すことができてもそれができぬ
境遇に腹が立つ

そこをいくと完璧な生活を目指していると思えてくる。







話しすぎた週で 議論のできない人間の多さを実感して不機嫌になる。

何故

自分が何におびえているか そのことも考えようとできていないのに

恥ずかしいとは思わないのか。


公衆に つまり知り合いにみえるように不機嫌にあたること

それは甘えだ。

電子媒体をつかってそういったことを無差別に行うのは相変わらず

胸糞が悪い。それも甘えに違いない。


だからといってそれを同じ方法で行うのではそれ同等の醜態をさらす

わけであって。

一生懸命であるからこそそうでない人間に腹が立つけれど

そうでない場合はそうされた時分、「そうはいっても」といって

対極に立つような矛盾と都合のよさ。

そこに立ち向かうのが理性だが

方法序説への違和感と同じように理性だけでの限界をどうすべきかの

答えがでない。感覚と理性とのその二項的な考えがそもそも成立しないのでは

と疑っているのだが、なかなかその言葉が二分する世界とは便利で

罪深いともおもう。つまり言葉のささやかな違いがわからないばか者たち

はその二つのどちらかに留めなく迫る問題を投げ入れることでしか

思考を展開できないのだから。


人の行動という一番表面にあるものの原動となる

内的な営力の法則とその流れ。そういったものをなぜ

見抜けないのか。

真に腹が立ってしょうがないので

こんな性分では肉体に与える影響を考えると

長く生きるに耐えないだろうと思う。



すべての根源は己の流れとそれを制御する器官の不具合から。

そこをなんとかすれば他人なぞどうでもよくなろうだろうと思う。



寝てもさめず、動いてもさめず、働いてもさめない。

だが

これは一段階、齢と経験の蓄積したいいいかえることも

不都合ではないのかもしれないという希望と結論をもつ。

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20:23:48 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
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