忍者ブログ
[PR]
2025 / 03 / 16 ( Sun )
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

21:19:44 | | page top↑
凡人
2010 / 02 / 06 ( Sat )



我々は信仰なしには生きられないのではないか。


包括的な表現に行き着くあたり

無知に退行しているような気がしてならないが

最近は、そういうことが多い。

少し前までは、決め台詞が如く即結論だせたことや

当たり前だと結論付けていたことに

疑問をもつようになって答えが出せなくなっている。

それは

単に長期休暇に入ったとか、自ら追い込みをかけているから

かもしれない。


いかに勢いだけで、数多の台詞を吐いてきたかということが

思い知らされる。


そう。


まさに新世代の子供の病理をそっくりそのまま

受けているのは自分自身なのだ。


情報技術の進歩による距離と時間のボーダーレス化、

それによる仮想空間の拡大と内面化の増長

アニメや漫画などの表現との接触機会の増加による非現実感の助長、

ネットの普及による匿名的連帯感の創世

競争の必要性の減少、

それにより閉じた個人が「近代」という進化という信仰を拒絶しても

生存していけるようになった。

それは個人の役割の創造がされなくなるということ

社会化以上に内面化が拡大するということ

内面的時間のほうが体感している時間が長いので、触れる現実とのギャップ

それによるストレスは当然多くなる。

それを補うがごとく、ネットに接続して匿名性のある空間で

仮想的な自己を増産することになる。

実際は罠だらけだ。


価値が相対化した現代で

もはや何がだめで何がいいかわからない。

根本的な理由を探すのはいまだに中二病だからか?

確かに。誰に期待しているというのだ。


自らの弱さが助長されるのはまた悪い周期に入ったせいだ。


解法はそう。

内面化の阻止だ。



ヴァーチャルチルドレン 

PR

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

01:37:25 | 思想・問答 | トラックバック() | コメント(0) | page top↑
<<メモ | ホーム | 追跡者たち>>
コメント
コメントの投稿













トラックバック
トラックバックURL

前ページ| ホーム |次ページ