[PR]
2025 / 03 / 17 ( Mon ) × [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
シスコンと千里眼
2008 / 07 / 22 ( Tue ) 明けぬ梅雨 過ぎる夏
人の一時 矢の如し 止まない夕立 しがない置き傘 忘れて帰ってくれたのに 知らずに私はおいかけた 終わりにも始まりにも区切りをつけたがるのは 人間ばかりな気がして それはそれで違う趣を感じる。 惜しむようにする花火も 場違いに欲する男女も なんだか阿婆擦れているようで それがとても 人間らしい気がするのです。 結局 一方的な自己満足の上下関係とか ハリボテのような高揚感とか 構ってほしいだけの「もうダメだ」とか 思い込みと同一化ばかりで それは真理的に必要なのか 主役 気取りが多すぎなんだ。 要領がいいというのは 歩幅とリズムを自由に調節できる人間のことだとおもうのです。 なかなか思い切れない人は毎回 出遅れるし 独りよがりは他人とあわせて踊れない 流れを読み、アレンジできること それが無二の才でしょう。 変えるべきこと 指針をある程度決めるとき ある程度の磁力は必要だ が 環境と対象本意でない場合に 「べき」というやつは そいつ自身が帰るべき。 これこそ自慰的だ。 慰めるなら一人で部屋に鍵を閉めてやってくれ。 別段 文句や不平があるわけではない。 嘘だ。 文句や不平は絶えない。 大抵の人種はこうだ。 欲求は満たされて次の階層へ往く が 求め続けて往く中で 文句や不平のない無菌室に着くのだろうか 着地点のないフライトをはじめていることに離陸して気づく そういう人種だ。 PR |
|