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マスターピース
2009 / 05 / 03 ( Sun ) そうだ 唐突に思い出した 3ロビでみたあのアモルとは神の名ではないか。 ああ。 先生 今日は何かに吊上げられるように知性の水脈が沸き止ることない ように私の思考が休むことを拒みます。 最近講義で受ける多種多様なことのいくつかが 瞬間的に陣を組み、もしくは通電し 私のスキーマを新たな造形へと瞬時に錬成するのを感じるのです。 それは若さと言う肉体的な付加と まるで恋のような青い衝動に冒されているからなのかもしれません。 私は先生の講義を数年ぶりにきいて 改めて感動するフレーズを拾った気がするのです それはいつか親友が僕にくれた言葉であり 最近の友人がよく口にしていたことにもツナガリます。 生きるとは行為をすること 目的追求行動であり その目的は幸福追求である。 だから思考のみの満足では意味がないとも簡約できる。 物事や事象とされる たとえば いじめや虐待なんかといった社会問題や 恋や その純度と打算的な勘定との鍔ぜり具合の状態とかを そのセオリーだとか何がよい悪いの価値判断だとか そういった もの や 理論 なんてものは名詞的な存在を鼻からしておらず 結果として ある一時的な評価としてつけたに過ぎないということです、 それはつまり最初に申し上げたところの 行為によって存在を存在足らしめることが唯一許されるものたちのことで もしくそれは存在と言い表すよりも 行為によって 表現となされる 何かの一形態であり、描写である というほうが適当かもしれません。 いずれにしろそういった動的なことでその本質を唯一現せる それらに私はずいぶん囚われており そのことに現在実感をもって気づいていたとともに その拘束が解かれることがないことも直感的に知覚したのです。 しかし そのフレームをもったことで現実とは 複雑×複雑 であり 実は決して解かれることの許されない 不可能なパズルのようなもので それに対してあきらめとは違う 決別をできたような錯覚を得た気がするのです。 それは世界であり 現在の私の思考は世界の体現であるかのように。 しかし それらは束となって私をいよいよ追い詰め 首を締め上げるように感じるのです。 私は締め上げられながら最期まで最期まで逃げ道を探すような 感覚です。きっとこれがなくなったとき いよいよ私はだめなのでしょう。 ひとつ先生の講義において僕の気づいた点を申し上げますと 先生に異論をたててやることは根本的に不可能なわけです。 なぜならその反論を出そうと言う姿勢 その入り方そのものが 既に狭い 矛盾と論理の破綻の発端となっているからです。 先生はもはや人類 至高の思考を知りえているようにさえ思えてくる のです。しかしそれは非常に革新的であり それでいて現実性を大多数に与えるには幾らか非力に思えます。 それにその考えを現実に普及しようとさえすれば どこかの阿呆の宗教のようにみなされ 現実にはならないでしょう。 ヨーガ 心理学 哲学 宗教思想 東洋史 教育学 社会学 組織学 といったものがリンクします 僕の頭はいよいよ どうにかなってきそうな錯覚を覚えます。 それはただ単純に睡眠不足だということに違いありません。 先生私は先生の研究室にいくことはないとおもいます。 PR |
リアリストの結末
2009 / 04 / 09 ( Thu ) ある意味でのらりくらり それでいてありきたり。 だが妄言や分不相応な衝動で身を滅ぼすこともなく かといって 簡素 とは言えない複雑な軌跡。 それは「誰しも」であり「彼のみが」である。 「言うべきことはないです」 「言いたいことを素直に吐いてよいほど我々は自由を補充していない」 だが満足そうであろうはずだ。 |
掴み波
2009 / 03 / 30 ( Mon ) 神々の唱 天才達の悪戯 するべくもなくその言葉を飲み込み 黙しすごしうることの尊きかな しからば語ることの難きこととなり それもまた人の人たる故 自由という不自由な枠の中で 捨て去りしも消しらるるは汝の小さきマコトなり さらばゆかん いきししにゆきもまた 実に情なき世界の姿なり。 |
今日は激流
2009 / 03 / 29 ( Sun ) そう、ここは水盆なのだ。 流れ出、湧き上がる思考と発想を受ける器が足りない故の 水盆なのだ。 私より早い同世代がたくさんいると言われたのは どういう意図か知らんが、火をつけた、私に。 ゆえに、すぽ のほうもNPOのほうも少し本流をだして みようかとおもう。 マンション経営 ・詩的構想における考察 ・自己解析 ⇒ キーワード・好み 努力:単純に進路、その先のやりくり、今までのキーワード 性質とタイミングの両因子の存在 ・であいの~ とこころの~ |
殉教者達の朝
2009 / 01 / 13 ( Tue ) 自由という不自由な発想。 それがゴミかそうでないか それを迅速且適確に判断できることを賢いという。 少なくても自身にとって是か非かということを。 くくるのは首でなくて腹だろう。 まず腹引っ込めろ。 求め合うのではなく与え合うと言うこと。 前のめり。 |