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錬金術の夜②
2008 / 08 / 20 ( Wed ) 先生が 哲学はつまるところ 当たり前のことを難しく言っただけである とおっしゃったとき 全私が「まさにそのとおり」とどっと笑いました。 そういう自らの気楽さと律儀さに私は尊敬と愛敬を抱かずには いられません。 PR |
錬金術の夜
2008 / 08 / 20 ( Wed ) 先生はおっしゃいました。 多に一をみること 一を多にわかつこと それが芸術だと。 自然から法則を見出すこと 人の世の法則を見出すこと その抽出されたものを真理と呼び そこに至るには 先生のおっしゃるところの 多を一と見 一を多に分かつことと変わらない工程があると 常日頃考えていた私はその先生の言葉に感銘致したのです。 眠れない朝にひぐらしが鳴き始めて 寝ないことに決めたように 悲劇的なシーンも考え方さえ 揺らがないように決めさえすれば 非常にユーモアのあるシーンになるということですね。 |
夏
2008 / 08 / 20 ( Wed ) 傍に侍ろひ
夏過ごし候 ようよう風もなくなり 蝉も蜩も地に落ちける 誰がために鳴かば さ楽になるや。 |
それでもやるべきことはやらねばならない
2008 / 08 / 02 ( Sat ) 色んな不満だ 松原さんの疲れた目だったり ガッピーのマジギレだったり 大統領の対応だったり裏切りだったり 使えない社員だったり 店長だったり 探りさぐりな関係だったり スカウトされた喜びだったり 環境と待遇をもう少し合理的に利用することだったり よくわからなくて泣き笑いだ 真理はいつもそこにあり遠い |
勘合符
2008 / 07 / 31 ( Thu ) 芸術家 芸術家たらしめるのは それを外から評価する外野に相違ない。 だから自ら名乗るものはまがい物に相違ない。 感性とは論証と確実性のない範疇であり たといあったとしても それにそぐう段階に人は至っていない。 感動はつくるものであろうか。 感動は送り手によって造られる何かによって 受け手自身が創りだすものであって 一方向的に作らされるわけではない。 多数に受け入れられるのは その多数の受け口が近しい形にそろえられてしまって 存在しているからに過ぎず 万能であるからではない。 語彙の少ない者は 知る世界をより鮮やかにみることができない 平面が立体に勝り 立体が流動に勝ることを知りえない。 流動の末にみえる次の段階を私は未だ知らない。 流行や常用は感動の色を呼び起こしえない。 流行と常用の裏をかく意外性という 技法を用いることがない限り。 |